フリースタイルスキー界で注目を集める近藤心音選手。
その名前とともに、最近よく検索されているのが「父親」というワードです。
いったいどんな人物なのか、気になった方も多いのではないでしょうか。
実は、近藤心音選手の父・近藤信さんは、白馬では知らない人がいないほどの存在。
かつて日本のフリースタイルスキー界を支え、「隊長」と呼ばれて親しまれてきたレジェンド的スキーヤーです。
なぜそこまで評価されているのか。
どんな経歴を持ち、どのように娘・心音選手の競技人生に影響を与えてきたのか。
この記事では、近藤心音選手の父親にスポットを当て、
白馬のレジェンドと呼ばれる理由や、父娘の深い関係について、わかりやすく紹介していきます。
近藤心音の父親が凄すぎる!

近藤心音選手について調べていると、必ずと言っていいほど出てくるのが「父親」というワードです。
それだけ、父の存在が大きいということなのでしょう。
実はこの父親、ただ者ではありません。
近藤心音選手の父・近藤信(こんどう まこと)さんは、1990年代から2000年代初頭にかけて活躍した元プロスキーヤーです。
1993年にモーグルを始め、1995年にはスキーの聖地・白馬村へ移住。
当時まだ日本では馴染みの薄かったフリースタイルスキーの世界で、中心的な存在として知られるようになりました。
この頃のフリースキーは、今のように競技として整備されていたわけではありません。
「勝ち負け」よりも「どう滑るか」「どれだけカッコいいか」が重視されていた時代です。
そんな中で近藤信さんは、型にはまらない自由な滑りを貫き、多くのスキーヤーの憧れの存在になっていきました。
仲間たちから「隊長」と呼ばれていたのも印象的なエピソードです。
偉そうに指示するタイプではなく、自然と人が集まる。
気づけば輪の中心にいる、そんな人物だったことがうかがえます。
引退後もスキーから離れることはありませんでした。
白馬を拠点にコーチとして活動し、子どもたちや若い選手の育成に尽力。
特に大切にしていたのが、「まずはスキーを好きになること」。
無理に結果を求めるのではなく、楽しむ気持ちを育てる指導を続けてきました。
この考え方は、娘・近藤心音選手の競技スタイルにもはっきり表れています。
挑戦を恐れず、自分らしい滑りを貫く姿。
その原点には、間違いなく父親の存在があるのです。
父は白馬のレジェンド

近藤心音選手の父・近藤信さんが「白馬のレジェンド」と呼ばれるのには、きちんとした理由があります。
それは、白馬という土地に深く根を張り、フリースキー文化そのものを育ててきた存在だからです。
信さんが白馬村へ移住したのは1995年。
モーグルを本格的に始めてから約2年後のことでした。
当時の白馬は、いわゆる競技スキーが主流で、フリースタイルスキーはまだ少数派。
今のようにスノーパークが整備され、ジャンプやレールが当たり前にある時代ではありません。
そんな環境の中で、信さんはモーグルやビッグエア、ジャンプを取り入れた自由な滑りを実践。
「決められた滑り方だけが正解じゃない」
「スキーはもっと自由でいい」
そんな価値観を、滑りそのもので示していきました。
やがて海外大会を転戦し、X-Gamesを目指す動きにも関わるなど、
日本のフリースキーが世界とつながっていく流れの中核を担う存在に。
さらに、スノーパークの設計や運営にも携わり、
“自由に挑戦できる環境”そのものを白馬に作り上げていきました。
こうした姿勢から、仲間や後輩スキーヤーたちに自然と慕われる存在となり、
長野オリンピック前後には「隊長」という愛称で呼ばれるようになります。
先頭に立って引っ張るというより、気づけば中心にいる。
そんな人柄が伝わってきますよね。
大会の表舞台に立たなくなってからも、育成や裏方として白馬のスキーシーンを支え続けた信さん。
だからこそ今でも、「白馬のレジェンド」と語られる存在であり続けているのです。
父が娘に与えた影響とは

近藤心音選手がスキーを始めたのは、わずか3歳の頃でした。
とはいえ、最初から「五輪を目指す」といった特別な道を歩んでいたわけではありません。
父・近藤信さんと一緒に雪山へ行き、遊びながら滑る。
そんな日常の延長線上に、競技としてのスキーがありました。
父の指導で印象的なのは、技術を詰め込むような教え方ではなかった点です。
それよりも大切にしていたのが、「まずはスキーを好きになること」。
そして、失敗を恐れずに挑戦する姿勢でした。
この考え方は、心音選手の競技人生を通して、一貫して表れています。
北京五輪、そしてミラノ五輪。
2大会続けて公式練習中の怪我に見舞われ、結果として本番を滑れなかったことは、誰が見ても過酷な現実です。
それでも彼女は、「最後まで諦めたくなかった」「挑戦する姿勢を見せたかった」と語っています。
この言葉の背景には、父から受け継いだ“挑戦をやめない姿勢”があるのでしょう。
勝てなくても、結果が出なくても、自分が納得できるトライをする。
周囲の評価よりも、自分自身に嘘をつかない。
そんなスキーヤーとしての在り方は、幼い頃から父の背中を見て育ったからこそ身についたものです。
近藤心音選手の滑りには、派手さだけでなく芯の強さがあります。
その根っこにあるのは、間違いなく父・近藤信さんの存在。
競技者としてだけでなく、人としての姿勢まで受け継いでいることが伝わってきます。
まとめ
近藤心音選手の活躍の裏には、父・近藤信さんの存在がありました。
白馬を拠点にフリースタイルスキー文化を広げ、「隊長」と呼ばれながら多くの人に慕われてきた父親。
その歩みは、派手な実績以上に、人や環境を育ててきた時間そのものだったと言えそうです。
心音選手が幼い頃からスキーを楽しみ、挑戦を恐れず滑り続けてきた背景には、
「まずは好きになること」「自分が納得できる挑戦をすること」という父の考え方がありました。
結果が出なくても前を向き続ける姿勢は、まさにその教えの延長線上にあります。
2大会連続の不運を経験しながらも、まだ22歳という若さ。
近藤心音選手の物語は、ここで終わりではありません。
父から受け継いだ挑戦する心とともに、これからどんな滑りを見せてくれるのか。
今後の活躍にも、引き続き注目していきたいですね。
