千葉県の大学生が行方不明になってから約5ヶ月。
父親がSNSで続けていた捜索の呼びかけは、多くの共感と祈りを集めていました。
そして、発見の知らせとほぼ同じ頃、父親のインスタが静かに閉鎖されました。
その選択に込められた思いについて色々と考えさせるものがありますが、同じ時代を生きる親として、この出来事から感じたことを綴りたいと思います。
行方不明から5ヶ月、千葉県大学生の足跡をたどる
千葉県で行方がわからなくなっていた大学生、嶋田 堅(しまだ けん)さんが、5ヶ月ぶりに見つかったという知らせがSNS上で広がりました。
大きな報道はありませんが、多くの人が静かにその情報を受け止めています。
皆様へ
— シマダ チカラ (@rikisal1109) November 11, 2025
このたび息子は、私共のもとに帰ってまいります。
これをもちまして、捜索の呼びかけを終了させていただきます。
皆様からいただいたご厚情と、息子との思い出を胸に、前を向いて歩んでまいります。
どうか、そっと見守っていただけますと幸いです。
ありがとうございました。
彼がいなくなったのは、6月8日頃。
その夜を最後に連絡が取れなくなり、家族はすぐに警察へ行方不明届を出しました。
携帯の電源は切れたまま戻らず、目撃情報も乏しいまま、時間だけが過ぎていきました。
父親はInstagramやXを通して、息子の情報提供を呼びかけていました。
チラシを配り、毎日のように思いを投稿しながら、わずかな手がかりを探し続けていました。
その投稿には、見知らぬ人たちからの励ましや祈りの言葉が寄せられ、多くの共感が集まっていました。
以下、父親のXの投稿を引用したものです。
投稿はすでに消去されています。
大学生の息子をさがしています。今年6月8日に連絡が途絶え、4ヵ月が経過しました。失踪後、携帯の電源も入らず、SNSでの動きもありません。警察にも届け出ていますが有力な手掛かりが無い状況です。
ぜひ、皆さんのお力をお貸しください。似ているかも、見かけたかも、確実でなくても構いません、どうか、下記のメールもしくは松戸警察署または父である私宛に情報をいただければ幸いです。
現在は、失踪前に息子がアルバイトで訪れている、山手線各駅や周辺23区の駅での捜索や、飲食系のバイト先の在籍確認等も行っております。一方で知人との接触を控えるため、関東近県や東京以外の大都市圏に居住先を移している可能性もございます、広く皆さまからの情報をいただけたら幸いです。 私共両親としては、「息子の安否だけ確認できれば」と願うばかりです。もう一度、彼のやりたいこと、かなえたいことをサポートしたいと考えています。よろしくお願いいたします。
<失踪日当日の動き>
最後の目撃:6月8日22:30 西葛西二丁目地域のコンビニのカメラで確認 失踪日の検索行動:1西葛西4丁目付近モールにある衣料販売店、2新小岩(駅指定ではない)、3秋葉原から西葛西の路線検索
リュックについて:AISFA社 メンズリュックサック https://amzn.asia/d/61L7LpE Profile https://kensousaku.my.canva.site/outreach-network連絡先 実父 嶋田 力 090-2488-4819 メール: ken.sousaku0608@gmail.com
千葉県 松戸警察署 生活安全課 047-369-0110 #行方不明 #失踪 #捜索 #情報提供
約5ヶ月の間、ご家族にとっては息の詰まるような時間だったはずです。
「無事でいてほしい」という一心で過ごした日々。
そして11月に入り、「見つかった」という書き込みがYahoo!知恵袋などに現れました。
そこでは、「山関連の場所で発見された」という個人的なイメージを語る投稿も見られます。
ただし、警察や報道からの公式発表はなく、いずれも噂レベルのままです。
確かなことが何もないなかで、世間の関心だけが先行している印象もあります。
ご家族は沈黙を選び、インスタグラムも閉鎖されました。
その選択には、外からはうかがい知れないほどの思いがあるのでしょう。
理由を詮索するよりも、いまは静かに見守ることが何より大切だと感じます。
そして、彼のことをきっかけに、行方不明という出来事の重みを改めて思います。
それは数字でもニュースでもなく、誰かの人生そのものなのだと。
現在も、警察の行方不明者リストに名前が残っている可能性があります。
父親インスタ閉鎖が示すこと

大学生の行方不明が明らかになった当初、父親はSNSを通じて公開捜査に近い形で情報を発信していました。
InstagramやXには、息子の写真や特徴、連絡先、警察署の電話番号まで詳しく記されており、まさに「個人の力でできる限りの捜索」でした。
家族の必死さは多くの人の心を動かし、投稿は何度も拡散されていきました。

SNSの力で広まった呼びかけは、希望をつなぐものでした。
見知らぬ人がポスターを貼り、街で声をかけ、共に情報を探す動きもありました。
しかしその一方で、日が経つにつれコメント欄には憶測や心ない言葉も増えていきます。
情報がないことが、いつしか“何かを知りたい”という人々の焦りを呼び、噂を生む。
その流れの速さに、家族はきっと疲れていったのだと思います。
11月に入って「発見されたらしい」という投稿が広がる頃、父親のInstagramは静かに閉鎖されました。
このタイミングは、まるでひとつの節目のように感じられます。
呼びかけの役割を終えたのかもしれません。
もしくは、報告よりも先に、気持ちの整理を優先されたのかもしれません。
閉鎖の理由は語られていません。
しかし、SNSを続けることは、情報発信であると同時に、絶えず外からの反応を受け止めることでもあります。
届くメッセージの一つひとつに応えられなくても、「読まれている」「見られている」という感覚は残り続ける。
その重さを考えれば、アカウントを閉じるという選択は、ごく自然なことにも思えます。
SNSがあることで、私たちは誰かの痛みにすぐ触れることができます。
けれど、その近さが当事者の心を追い詰めることもある。
見守るつもりが、いつのまにか「知りたい」「確かめたい」に変わってしまうことも少なくありません。
だからこそ、家族が沈黙を選んだ今は、無理にその理由を探すのではなく、ただ距離を保つことが大切だと感じます。
公開捜査の期間中、父親がどんな思いで一つひとつ投稿していたのかを想像すると、胸が詰まります。
情報を広めることが希望であり、同時に心を削る作業でもあったでしょう。
いまは、その活動を終えたご家族が少しでも落ち着ける時間を取り戻せるよう、静かに見守ることが必要だと思います。
若者の行方不明が増える今、私たちにできること

このニュースを知ったとき、胸の奥が重く沈むような感覚に包まれました。
自分の子どもと同じ年代の若者が、ある日突然いなくなる。
その現実を想像するだけで、息が詰まる思いがします。
いま、日本では若者の行方不明が増えているといわれています。
警察庁の統計によると、10代から20代前半の行方不明届の件数はここ数年で高止まりのままです。
10代の行方不明者、多すぎる。
— OKOME🌾 (@sini07458) October 28, 2025
【令 和 5 年 に お け る 行 方 不 明 者 の 状 況 警 察 庁 生 活 安 全 局 人 身 安 全 ・ 少年課】https://t.co/y6J3HOBpy5 pic.twitter.com/omgKPoCZX6
背景には、家庭の事情、学校や人間関係の悩み、心の不調など、さまざまな理由があります。
けれど、どのケースにも共通しているのは、「周囲が気づけなかった」という現実です。
誰も悪くないのに、誰もが自分を責めてしまう。
それが、行方不明という出来事の残酷さだと思います。
そして今回の出来事は、まさにその痛みを社会に静かに突きつけました。
千葉県で行方がわからなくなっていた大学生が、約5ヶ月の時を経て見つかった。
SNSでは、家族の捜索活動を見守っていた人たちの間に、深い沈黙が広がりました。
「どうか無事で」と祈り続けた人たちも、言葉を失いました。
私はこのニュースを見ながら、ただ一人の親として考えずにはいられませんでした。
もし自分の子どもが、突然連絡の取れない状況になったら。
同じように、何も手につかず、ただ生きて帰ってきてほしいと願うしかないと思います。
日常のすぐ隣に、こんなにも簡単に「行方不明」という現実があること。
それを他人事ではなく感じることが、まず私たちにできることの一つではないでしょうか。

若者の行方不明は、特別な事件ではなくなりつつあります。
SNS上では「見つかりました」「無事でした」という報告もありますが、その裏では多くの家族が未だに行方を探しています。
ニュースにならないケースの方が、圧倒的に多いのです。
そして、多くの親たちは声を上げることすらためらいながら、静かに我が子を待っています。
今回、父親のインスタ閉鎖という出来事には、ひとつのメッセージがあるように思います。
それは「もうこれ以上、騒がないでほしい」「静かに見送ってほしい」という願いかもしれません。
見守ってきた私たちは、その気持ちを受け止める側に立つ時期に来ているのだと思います。
家族にしかわからない痛み、そしてその痛みの深さを想像すること。
それこそが、私たちがこの出来事から学べる一番大切なことなのかもしれません。
まとめ
千葉県大学生の行方不明から5ヶ月。
父親のインスタ閉鎖という形で一区切りを迎えたこの出来事は、社会の記憶の中で長く語られることはないかもしれません。
けれど、この期間に積み重ねられた家族の思いと、彼を気にかけた人々の気持ちは、確かに存在しました。
そしてその静かなつながりこそが、悲しみの中でも小さな希望として残るのだと思います。
私たちにできることは限られています。
けれど、誰かの痛みを想像し、そっと寄り添う心を持つことは、きっと誰にでもできるはずです。
どうかこの出来事が、若者の行方不明を減らすための小さなきっかけになりますように。
そして何よりも、ご家族が少しずつ日常を取り戻せる日が来ますように。